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発表会・報告会Presentation

ロサンゼルス修学旅行記 2012


小国高校 ― ベニス高校
第10回 文化交流
OGUNI-VENICE
10th Annual Culture Exchange



  ◇期 日  平成24年11月8日 (木) 〜 12日(月)

 ◇生 徒  第2学年 59名

 ◇行 程  【行程の項目をクリックするとジャンプします。】

日 数 行 程(  = 貸切バス  → 飛行機  ・・・ 徒歩  )  
1日目 小国高 = 成田空港  → ロサンゼルス空港  = チャイニーズシアター
= サンタモニカ桟橋 = ゲティセンター = ホテル  
2日目 ホテル = ベニス高校 交流会  ロサンゼルスについて
= ファーマーズマーケット = 全米日系人博物館  = ホテル  
3日目 ホテル …… ディズニーランドパーク
… ホテル
 
4日目 ホテル = ロサンゼルス空港 →
5日目 →  成田空港 = 小国高

 ◇ 団長回想録 『入出国手続きと日系アメリカ人』


空港の手続き

1組3班


 下の写真は、空港のチェックインカウンターでの風景です。初めて飛行機に乗る手続きだったので緊張しました。まず初めに預ける荷物とパスポートを渡します。搭乗券を受け取ったら、金属探知など別の検査を受けるために先に進みます。
 セキュリティチェックの場所へ移動すると、手荷物の検査とボディーチェックを受けます。金属類や薬物がないかチェックするためです。はさみやベルトも引っ掛かるということでしたので注意しながら通りました。今まで海外には簡単に行けると思っていましたが、警備がとても厳重だと感じました。

   
チェックインカウンターで搭乗手続き。 搭乗口を通過し、いよいよ飛行機へ。

 様々なチェックを受け、遂に搭乗口に入り、ようやくほっとしました。ここから飛行機の中に入っていきます。いよいよ飛行機に乗ることができると思うとわくわくした気持ちになりました。この場所から飛行機が見えました。とても良い風景でした。これからアメリカに向かって出発です。


   
飛行機からの雲海は、とても綺麗でした。 ようやくロサンゼルス空港に到着。時差ボケです。

 飛行機の中から見た空の風景です。下を見ると全体が雲で覆われていて、とても綺麗でした。
 到着後、審査官の方にパスポートを渡し、入国審査を受けました。旅行の目的や滞在日数を英語で聞かれた人は、授業で練習してきたとおり緊張しながら答えたようです。審査官によっては、何も質問せず書類を点検するだけでしたので、中には一言も話すことなく通れた人もいたようです。
 初めての体験ばかりでとても緊張しました。




ロサンゼルス市内

◆ チャイニーズシアター◆ ◆サンタモニカ桟橋◆

2組10班


 1日目の見学先「チャイニーズ・シアター」にはハリウッドスターの手形や足形が刻まれていました。私たちも知っているハリーポッターやトワイライトのキャストのものもあったので、写真を撮ってきました。また、チャイニーズ・シアターの前には、スパイダーマンなどコスチュームに身に包んだアメリカ人がたくさんいてユニークだと思いました。
   
ハリウッドスターの手形・足形。一番上に、ハリーポッターの文字が見えます。 異国情緒あふれる建物。観光客やパフォーマーが大勢で賑やかでした。
建物内はとても広く、「sweet」というお店で買ったカラフルなグミが意外にもおいしかったです。
 また、1段上がる度にピアノの音がする階段がありました。日本では、このような階段はなかなかないので非常に新鮮でした。また、非常に大きな鉢植えがあり、日本とアメリカの物の大きさの違いを痛感しました。

 
アカデミー受賞で使われる階段。

◆サンタモニカ桟橋◆ 
  カルフォルニアで有名なサンタモニカのビーチに行ってきました。あいにくの雨でしたが、海と砂浜がとてもきれいで日本より大きく広く感じました。例年、砂浜を歩いているようなのですが、私たちは写真を撮るだけで終わってしまったので、もう少し長く観光を楽しみたかったです。
 
南国ムードたっぷりのサンタモニカビーチも小雨でした。




ゲティセンター
(J・ポール・ゲティ美術館)

1組2班

 1954年、石油王ジャン・ポール・ゲティ自身の邸宅に最初のギャラリーが建てられました。その後2番目の私有地の丘にギャラリーが建設されました。これが現在のゲティ・ビラです。
 1976年にゲティが死去したあとロサンゼルスのブレンドウッドに拡張する計画でしたが、住民の反対で中止になりました。1997年にコレクションに移管されることになりゲティ・ビラはいったん改築のため閉館しました。

 現在のゲティセンターはロサンゼルスのパシフィックパリセーズにあります。現在、ゲティセンターはアメリカを代表する美術館であり、たくさんのコレクションが保管され、ゴッホやゴーギャンなどの有名な芸術家作品が展示されています。
   
 ゲティセンターは丘の上にありトラムという乗り物で移動しました。美術館内を乗り物で移動するとは知らなかったので驚きました。
 ゲティセンターは敷地面積が広く、日本の美術館にはない風景がありました。館内は広く、大きな窓から光が館内に入りやすい構造でした。館内には高額な作品が多いだけに、警備員の方たちが多くいました。
 私たちの班は館内が広すぎてあまり作品は見られませんでしたが、有名なゴッホの作品「アイリス」(下写真)がありました。
 アメリカの有名な美術館を訪問し、世界的に有名な作品を、私たち高校生が目にできたということは非常に貴重な経験だと思いました。
   



ベニス高校


 <交流会の内容>
 ・ 団長挨拶、記念品交換
 ・ 代表生徒のスピーチ
 ・ ベニス高校発表
 ・ 小国高校発表 ラジオ体操
@ ラジオ体操の説明(DVDにて)
A 本校生による披露(日本語CD)
B 両校生で実施(英語CD)
 ・ 記念撮影(講堂ステージ前)
 ・ 記念品 お鷹ぽっぽの説明
 ・ グループ交流
  およびキャンパス案内
 ・授業参加
 (お鷹ぽっぽ記名
  ・贈呈、日本文化紹介)
 
 
ベニス高校 管理棟



交流会  1組6班

 ベニス高校交流会は、修学旅行2日目にありました。事前に準備をして交流会に臨みましたが、なかなか英語が話せずに苦労しました。しかし、ベニス高校の生徒はとても気さくで、私たちを素晴らしい演奏で温かく迎えてくれました。とても嬉しかったです。私たちと同年代なのにとても大人っぽく、明るい性格の人や元気な人が多く驚きました。私たちが英語を習うのと同じように、ベニス高校の生徒も日本語を学んでいて、私たちと同じなのだなと思いました。
   
講堂で交流会のセレモニー。
もちろん英語でスピーチ。小国高校からの記念品は、大きなお鷹ぽっぽ。
バンド部の演奏とチア部からの歓迎演奏・演技。ステージの段には、「小国高校 ベニス高校 交流会 2012」の横断幕。

 交流会はベニス高校の発表から始まりました。演奏や合唱、踊りを披露してくれました。素晴らしくてとても感動しました。私たちはラジオ体操を発表しました。練習で行っていた通りにできました。ベニス高校の生徒と一緒にラジオ体操を行なって、親交が深まったように感じます。とても楽しそうにラジオ体操に参加してくれて嬉しかったです。最後に全員で写真を撮りました。とても良い記念になりました。
   
図書情報センターで、お鷹ぽっぽを一人ひとり名前を書いてプレゼント。その後、広いキャンパス内を案内してもらう。 図書情報センターでの班別の交流会。折り紙のワークショップ。アメリカの高校生も日本のアニメが大好き。
 全体会の後に、グループ別の交流会がありました。最初は英語が通じるか、会話が成り立つか不安でしたが、ベニス高校生の方からたくさん話しかけてくれました。彼らが日本文化に非常に興味を持っていることがわかりました。私たちが自分たちで絵付けしたお鷹ぽっぽを渡すと、とても喜んでくれました。
 その後、校舎内を案内してもらいました。その際にフランス語のクラスも見学できました。
 ベニス高校との交流会を通して、異文化の人とコミュニケーションをとることは難しいけれど、重要なことだと思いました。





交流会 ラジオ体操  2組7班

 ベニス高校との交流会で、小国高校はラジオ体操を披露することになりました。いつも体育の授業で行っているラジオ体操ですが、その歴史などは何もわからず一から調べることになりました。すると、ラジオ体操の発祥はアメリカで、日本では90年の歴史があることがわかりました。国民誰もが知っているという大変珍しい、独特な文化であることがわかりました。私たちの班はそのプレゼン映像を作ることに取り組みました。学年全体でも何度も練習を行い、その度ごとに上達していきました。

   
発祥がアメリカの「ラジオ体操」。すっかり盛り上がりました。 講堂で記念撮影。ベニス高校のスクールカラーは青。青と白のガウンは女性コーラス部、白の上着・青のズボンに青のタスキはバンド部。
 交流会当日、ベニス高校の講堂で発表しました。発表する前はみんな緊張していました。まず初めに、プレゼン映像を見てもらいましたが、映像の所々で歓声があがり、ベニス高校の生徒たちが興味を持ってくれているのが伝わってきました。そのような中、堂々と発表出来たのでよかったです。英語版のCDを流すと、ベニス高校の生徒たちも立ち上がり、一緒に体操して楽しんでくれました。練習の成果を発揮できたと思います。
 全体会が終わった後、ベニス高校の生徒とグループ交流を行いました。
 日本とアメリカの高校の授業や生活スタイルの違い、文化の違いなどがわかりました。ベニス高校の生徒は日本語を勉強しているので、とても上手に日本語を話せていて驚きました。校内を見学した後に、お鷹ぽっぽを渡しました。思いのほか喜んでくれたのでよかったです。折り紙の折り方を教えたりして、ベニス高校の生徒と仲良くなれました。大変いい交流会になりました。
   
グループ別の交流。プレゼントはお鷹ぽっぽ。とても楽しくコミュニケーションができました。 ゲームを交えながら体を動かしてのコミュニケーションは、気持ちがリラックスできます。




交流会 お鷹ぽっぽ  2組8班

 ベニス高校の授業スタイルは小国高校とは違い、自分の教室がなく、すべて移動教室であることです。チャイム後の大移動は小国高校を含む日本の高校では目にすることのない光景でした。また、生徒はみな私服で通学しており、自由度が比較的高いのだと思いました。実際に授業を見学したところ、挙手して発言することは少なく、自由に言葉を交わしていました。活発な雰囲気で見習うべきところがたくさんありました。授業には毎日体育があり、施設も充実していました。たとえば、室内プールやグランドも毎日の運動に見合ったものでした。
   
お鷹ぽっぽの絵付けは、出発前に学校で。一人ひとりへのプレゼントなので、より真剣です。 完成したお鷹ぽっぽが勢揃い。絵付けは、笹野一刀彫り「鷹山」の方から指導していただきました。
交流会は、お鷹ぽっぽのプレゼントから始まりました。お鷹ぽっぽを渡した際の反応としては、初めは不思議そうにしている人もいましたが、相手の名前を書いて渡すと、ほとんどの人に喜んでもらえました。日本の伝統文化を伝えることができてよかったです。
 今回、私たち自身も自分たちで絵付けを行い、伝統文化に触れる機会を持つことができました。心を込めて作ったので、渡した方に大切にしてもらえると嬉しいです。
 その後にベニス高校を案内してもらいました。その最中にベニス高校の生徒は、私たちにたくさん質問をしてくれました。グループ交流会の中で私たちは「箸」を説明しました。あちらの生徒の中には、日本人よりも箸使いがうまい生徒がいたので驚きました。終始あちらのテンションに飲まれ気味でしたが、とても楽しく交流することができました。本当にいい経験をすることができました。

   
ベニス高校の授業に参加。自由に言葉を交わしながら、活発な雰囲気でした。 ベニス高校のキャンパス内を見学。「箸」の話しをしたところ、とても上手に使う生徒がいてビックリ。
   
ベニス高校での交流会のさいごは、各班とも全身で別れを惜しんでくれました。 ベニス高校は、さまざまな人種の高校生が一緒になって、インターナショナルな雰囲気でした。
   
名残惜しい出会いと別れ。 モデルみたいな高校生も。カッコイイ。




ロサンゼルス

1組5班


 ☆ ロサンゼルスの気候・風土 ☆

 1日目は雨が降りました。ロサンゼルスでは、雨の日を「ラッキーデー」というそうです。平均気温の15度まで上がらず、肌寒い日でした。特に風が吹いたときは、とても寒く感じました。2日目、3日目はお天気に恵まれましたが、夜になると日本とは違って急に寒くなりました。
 山が少なく日本ほど自然が豊かではありませんでした。緑が少なく、全体的に黄土色がかった風景でした。とにかく道路が広かったです。道路沿いにあるヤシの木のほとんどは海外からの輸入品なのだそうです。
   
ロサンゼルスに到着の日は雨、「ラッキーデー」でした。 2日目以降は快晴。「HOLLYWOOD」の看板も見えました。

 ☆ ロサンゼルスの歴史・文化 ☆

 日本とアメリカは昔から深い繋がりがありました。アメリカは、日本人を移民として受け入れました。国境を越えたお見合いが行われたり、悲しいことに両国間での戦争が起こったりもしました。
 ロサンゼルスには鉄道がなく、ほとんど車で移動するそうです。その為、ロサンゼルスでは17歳から車の免許が取れるとのことです。
 私たちにも気さくに挨拶してくれる方が多くいらっしゃって、こういう雰囲気はいいなと思いました。 また、チップの習慣があり、私たちもホテルに泊まった時に感謝の気持ちとしてチップを置いてきました。

   
ロサンゼルスはフルーツが豊富。 エスニック料理に挑戦。

 ☆ ロサンゼルスの特産物・名物 ☆

  カシューナッツやチョコ、グミ(着色料が強い)などがあります。ファーマーズマーケットでは、メキシコ料理など他国の料理もたくさんありました。特にオレンジジュースがおいしかったです!ペプシもたくさん種類がありました。パンもおいしく、ハンバーガーはアメリカビッグサイズで食べきれない大きさでした!!←食べて損なし(笑)お肉もおいしくて本場のものを食べることができて良かったです(ピクルスは辛かったです)。
   
ホテルの夕食はもちろん、大きなステーキにポテト
 
ホテルの朝食はバイキングで、モーニングにみそ汁もありました




ファーマーズマーケット

1組4班

 ファーマーズマーケットは思っていたより広くて、お店の種類も豊富でとても驚きました!
 私たちの班はお昼ごはんに、ピザとサンドイッチとハンバーガーを食べました(*・o・*)♪どれも大きくてお腹いっぱいになったし、味付けも濃くて満足しました?
 下の写真のお店のジュースは超絶美味しかったです!!!みんな喜んでましたwww

 ―人気TOP3―
1位、オレンジジュース
2位、グレープジュース
3位、リンゴジュース


   
 食べ終わってからはいろいろなお店を回りました☆ペットショップ、おもちゃ屋さん、雑貨屋さん、服屋さん、カフェテリアなどなど。日本で有名なお店もいっぱいありました! 楽しかったです。
 特に最後に行ったお菓子屋さんはめちゃめちゃ可愛かったです? 内装がとてもカラフルで、お菓子のグラム売りをしていたり、チョコレートフォンデュをしていたり、見ているだけでもとても楽しかったです。
 また、ほとんどのお店がクリスマス仕様になっていてとても可愛かったです!他にも回りたいお店がいっぱいあったのですが、時間が全然足りなくて回りきれなかったことが残念です。もしまたアメリカに行く機会があればもう一度行ってみたいなあと思いました。

 



全米日系人博物館
JAPANESE AMERICAN NATIONAL MUSEUM

1組1班

 アメリカに渡った日系移民の歩みを展示した「全米日系人博物館」はリトル東京の中にありました。思っていたよりも大きく、ガイドさんが日系人の歴史について丁寧に教えてくださいました。建物の中のガラスには博物館に寄付してくださった日系人全員の名前が載っていました。この博物館の見学を通して、アメリカに移民された方々が大変な苦労をされたということがわかりました。
   
 お話の中で私達が驚かされたのが、アロハシャツは着物が起源だということでした。日系人の女性が、畑仕事をする際の寒さ対策のため着物を重ね着した所、それを見たアメリカ人が着物の柄を気に入り、「シャツにしたら良いのでは?」ということでアロハシャツが生まれたそうです。このようなアロハシャツの起源を知らない人は多いはずです。

 最も心に残っているのは日系人部隊、第442連隊戦闘団(442nd Regimental Combat Team)についてです。この部隊は第二次世界大戦中にアメリカ陸軍において、士官以外はすべて日系アメリカ人で編成された部隊です。主にヨーロッパ戦線に投入され、枢軸国相手に勇敢に戦ったそうです。その激闘ぶりは死傷者数9,486人という数字が示しています。この部隊は、アメリカ合衆国史上最も多くの勲章を受けた部隊としても知られ、その方達の中にはお笑いコンビ「ピース」の又吉直樹の祖父、「又吉宝善さん」がいたそうです。

 部隊が編成された当初は、日系人に対する扱いの違いから本土とハワイ出身者の対立はとても深刻だったそうです。お互いに皮肉を込めた呼び名で呼んで嫌いあい、挙句の果てには暴力沙汰まであったということです。その事態を見かねた上層部はこの対立を解消するために、ハワイ出身者に本土の強制収容所を見学させました。そこで彼らが目にしたのは、有刺鉄線が張り巡らされ、常に監視員がライフルを構えているという刑務所同然の現状でした。いかに本土出身者が辛い状況に置かれているかが明らかになり、対立は解消されたそうです。
   
 なお、日系人部隊の合言葉であった"Go for broke!"には「当たって砕けろ!」や「死力を尽くせ!」等の意味があります。元々は「有り金すべてをつぎ込むこと」を意味するハワイのギャンブル用語だったそうです。きっと戦闘をする前にこう叫んで前線に突入していったのだと思います。日本にルーツを持ちながらもアメリカのために戦うというのは非常に複雑な気持ちだったと思います。この日系人部隊の方達はその日本とアメリカの戦いに命をかけたのです。人々や国、宗教などの対立がなくならない限り、本当の意味で「戦争」はなくならないのかもしれません。しかし、この日系人部隊の方々の姿は、私達にその戦争の非情さを教えてくれます。この戦争で失われた尊い命は二度とは戻りません。しかし、この日系人部隊の方達が私達に伝えたかったことを心に留めておくことはできるはずです。




ディズニーランド

2組9班

 カリフォリニアのディズニーランドは1955年に誕生☆世界初のディズニーランドパーク!私たちはそのようなアメリカの夢の国に行ってきたのです!広さはカリフォルニアの方が大きく、たった1日では全体を回ることが出来なかったのがとても残念です。 東京のディズニーランドにあるのはシンデレラ城ですが、カリフォルニアにあるのは眠れる森の美女のお城!お城は意外と小さく、東京ディズニーランドの方がいいと思いました。日本っていいね。
 最初は先生もいない中、自分たちだけで買い物をしたり、アトラクションに乗ったりできるのかとても不安でした。しかし、今まで習ったことや、簡単な会話表現を生かして、自分たちが伝えたいことを相手に理解してもらえることが出来ました。また、ディズニーランドは広く、周りもアメリカ人ばかりで、誰かに聞くということはなかなか出来ませんでした。集合時間になっても集まらないとき、待っている班員で仲間を信頼し、じっと待つことが出来たので良かったです。

  いざ!夢の国へ♪ディズニーランドを満喫してきましたっ!

 ひたすら歩く…歩く…歩くっ!?
 な、なんと!ミッキーさんがいらっしゃいました。ミッキーさんの腕の筋肉は最高でした!異国だけど、キャラクターとかデザインは日本もアメリカも似たような感じで、見て回るだけでもとても楽しめると思いました。また、ミッキーさんにサインを頼んだところ、英語は話せなかったけど、ジェスチャーで通じたのでサインを書いてくださいました。ミッキーさんと関わって、自分の伝えたいことを伝えるには、言葉はわからなくても一生懸命伝えようとする努力が必要なのだと思いました。
   
生のアメリカの中に入って過ごして、
異文化を楽しむことができました。
ノースウッド高校のマーチングバンドも
出演していました。

☆★!私たちがディズニーランドから得たこと!★☆

修学旅行の1日をディズニーランドで過ごして、生の英語の発音や、実際のアメリカ人などに驚くことがたくさんありました。「Hello!」や「Thank you.」も私たちが発音しているものとは異なっていて、英語がとても格好良く思えました。中でも、アメリカでは自分から言わないと何もしてくれないというところがとても不便で、日本の行き届いたサービスは素晴らしいと感じました。また機会があったらアメリカに行って異文化や英語に触れてみたいと思いました。




団長回想録『入出国手続きと日系アメリカ人』

 今回、記念すべき10回目のロサンゼルスへの修学旅行に、団長として参加した。アメリカは日本にとって最も親密な国であるとは言え、百聞は一見に如かず、である。訪れた場所は限られていたものの、それでも多くの新鮮な驚きや発見、感動があった。中でも私にとって最も印象に残ったことは、アメリカの入出国の手続きの厳重さと、それに関わった日系アメリカ人に対する、尊敬の気持ちである。
 現地時間11月8日午前7時45分、小国高校2年生59名と引率者6名の乗った大韓航空001便は無事ロサンゼルス空港(LAX)に着陸した。小国高校を出発してからほぼ20時間の長旅だったが、ほっとする間もなく入国手続きが待っている。アメリカの入国審査のこれまでにない厳しさについて事前に情報があったため、万全を期して必要書類を準備したが、無事全員入国できるだろうか。不安と緊張が高まる。2階の到着ゲートから1階に下りると、閑散としてひんやりと静まり返った広いロビーに、審査官や警備員の声が響く。生徒達は緊張した表情で6つほど列を作り、それぞれのゲートでいよいよ審査が始まった。トラブルが起こらないことを祈りながら各列を見渡すと、中には審査官と笑顔でやり取りしている生徒もおり、緊張が和らいだ。結局、生徒たちは皆何事もなくゲートを通過した。入国審査ではパスポートのチェックの他に、両手の指紋のスキャンと、顔写真撮影が行われる。現在では日本を含め世界の多くの国で行われているとはいえ、まるで犯罪者扱いされる気分はあまり良いものではない。
 驚いたのは、帰国時の出国検査だ。LAXでの出国検査は成田とは全く違った。検査は、天井の低いあまり広くはない白っぽい壁の部屋で2列に分かれて行われ、その空間は大声で無駄話などできない異様な緊張感に包まれていた。身に付けている腕時計やベルト、指輪やネックレス、硬貨、ペンダント、携帯電話など、金属が含まれる物はすべて外してトレイの中に入れる。さらにジャケットを脱ぎ、何と靴も脱いで別途検査するという念の入れようだ。上着と靴を脱いだ状態でブースの中に入ると、両足を広げ、両手を上にあげて、まるで映画の中で犯人が警官に銃を向けられたような姿勢で立たされる。恐らくはX線か何かで透視されているのだろうが、あまりに緊迫した真剣な様子に、係員にそれを尋ねることなど全く考えられなかった。もっとも、尋ねたとしても答えるはずもなかったであろうが。
 さて、2001年の同時多発テロ以降に始まったこのような厳重な検査の導入に深く関わったのは、当時ブッシュ政権でアメリカ14代商務長官を務めていた日系2世のノーマン・ミネタ氏である。このことを誇らしげに私たちに語ってくれたのは、全米日系人博物館の解説員の方だった。ミネタ氏は、同時多発テロが起きたときに、米国史上初めてアメリカ国内の全民間航空機の緊急着陸を命令したことで有名だ。そのテロ以降、アメリカ国内では、イスラム教徒に対する偏見と差別意識から、イスラム教徒の入国を拒否する動きが起こった。それに対し断固として異を唱えたのがミネタ氏である。日系2世としてアメリカ社会の差別と偏見に辛酸をなめた経験をイスラム教徒に対して繰り返すことは絶対に避けなければならないという強い信念のもと、安全を確保するための、より厳重な入出国検査の導入の実現に尽力したのだ。出国検査の異常ともいえる厳しさを体験して、改めてミネタ氏の信念と決意の強さに感服するとともに、全米日系人博物館で目にした、アメリカでの日系人の苦難に思いをはせることとなった。
 さて、生徒たちはこのロサンゼルスへの修学旅行で、どのような成長を遂げたであろうか。瑞々しい柔軟な感性を持っている高校生時代に、全米2位の大都市ロサンゼルスを訪れることは、それだけでも十分意味のある体験だが、現地のVenice High Schoolの生徒たちとの交流は、さらに計り知れない貴重な財産である。ロックバンドに合唱隊、マーチングバンド、チアリーダーたちが、それぞれ迫力あるパフォーマンスで小国高校生を歓迎してくれた。それに対し、小国高校生も日本の文化の紹介として、堂々とラジオ体操を披露し、そのあとはグループ毎にお互い楽しく交流を深めた。時差ぼけと睡眠不足の疲れに負けず、この旅行中に生徒たちが見せた溌剌とした表情から、今回の修学旅行での経験の全てが、間違いなく生徒たちを大きく成長させていることを確信した。短期留学制度を利用して再びVenice High Schoolを訪れる人もいることと思う。また、アメリカやその他の国々の異文化に対する憧れや夢をより一層膨らませた人もいることだろう。生徒たちには是非、この旅行をとおしてそれぞれに芽生えたものを大切に大きく育て、これからの人生に活かしてもらいたいものである。
 (渡邉 正三 記)